2011-09-15

までいの力

震災からちょうど半年、福島県飯舘村の酪農家(正式には「元酪農家」)長谷川健一さんのお話を聞く機会があった。震災後、断片的な情報は耳にしていたが、はじめてしっかりとした「ストーリー」として、村で生きてきた当事者の苦しみ・悲しみ・怒りを知ることができた。政府と御用学者が繰り返した「安心だから大丈夫」という言葉のために、村民はどれほどの被曝を強いられたのか…と強い憤りを感じずにいられない。家族同様に育ててきた牛を処分しなくてはいけなくなったとき、廃業を決定したときの長谷川さんたち酪農家さんたちの姿をうつした写真に涙がこらえられなかった。

そして、その翌日にたまたまATJのスタッフから借りた一冊の本。

『福島県飯舘村にみるひとりひとりが幸せになる力 までいの力』
(SEEDS出版、2011年)


その本は、「ここには2011年3月11日午後2時46分以前の美しい飯舘村の姿があります」の一文ではじまる。

「平成の大合併」により周辺の町村が合併を決めるなか、合併しない「自主自立のむらづくり」の道を選択した飯舘村。「ないものをねだるのではなく、あるものを探し生かす」オンリーワンの村おこしを進めるなかで出会った「までい」という言葉が村の合言葉になっていたことを知ったのは、震災後だったように思う。この言葉は、「真手(まて)」という古語が語源。左右そろった手という意味が転じて、手間ひま惜しまず、丁寧に心をこめて、つつましく、という意味で東北地方で昔からつかわれている方言だという。

その言葉の通りに、村に暮らす人びと自身が手間隙をかけて進めてきた村づくり。この本を読んでいると、飯舘村の人たちの村に対する思いが強く強く伝わってくる。2010年10月に「日本でもっとも美しい村」連合に加盟した飯舘村、豊かな自然とそれを愛でながら「までい」に生きてきた人びとからすべてを一瞬のうちに奪った原発事故。どんなに理不尽だと思っても、あの日の前に時計の針を戻すことはできない。

だとするならば、わたしたちがすべきこと、それはもう見えているはずだ。

のがわ